、それは、いかなる過程のなかで、誰によって、いかにしておこなわれることになったものであるのか。

同じ「資本主義」という<<言葉>>が、<<時>>が移り時代状況が変遷していくなかで、新たな問題意識をもった別の<<人>>によって、新たな意味内容をもった用語として使われるようになってくる。その移りゆきには、時代変遷のなかでの<<時>>と<<人>>と<<言葉>>の絡みあったドラマの展開がある。

それだけではない。「資本主義」という用語を使っている人それぞれにおいても、新しい<<時代>>状況のなかで、新しい問題意識や思想にもとづいて時代を表現しようとした<<人>>が、用語としての「資本主義」という<<言葉>>をいかにして使うか、あるいは使わないか。同じ人物の著書においても、初版と改訂増補版とでは 、「資本主義」用語の使い方の転換が生じているのである。

しかも、奇妙なことに、そのような「資本主義」という用語の発生と受容と展開のドラマのなかで、「資本主義」という用語を使っていないマルクスの『資本論』が、「資本主義」という用語の意味内容の転換をひきおこすというミステリアスな触媒の役割を果たしているのだ。

(中略)

そのようなさまざまなミステリーを解きあかしながら、「資本主義」という用語の紡いできたドラマをたどっていくことによって、、現在では過剰なほどに使われるようになっている近代社会のキー・ワードとしての「資本主義」という言葉の使い方とその意味内容を明らかにしていくこと、、、それが本書のテーマである。